今回は、私の指導を大学時代から受けていて、今年の予備試験に合格された方の声を紹介します。
この方は、大学卒業後、一橋ロースクールに進学し、既習3年次に予備試験に合格(3回目)しました。そして、来年司法試験を受験する予定です。
予備試験合格者の声
「頑張るのは君達なんだから。俺は君達が合格して将来,振り返った時に,泉谷先生から教わっていたな,って君達の人生の一助になれていたら,それで十分。それが幸せなんだ。」
これは泉谷先生がふと,私にかけて下さった言葉であり,今でも先生に対するイメージとして心に残る言葉の1つであります。
そして,泉谷先生がどのような姿勢で私達に向き合って下さっているのかをよく表している言葉だと感じます。
頑張るのは自分。
受験の世界において,「どこどこの予備校に行ったから,誰々先生から〜を教わったから」といった部類の言葉をよく耳にします。そのような言葉自体は何ら間違っているというものではありませんし,お世話になっている対象に対して恩義を感じているからこそ出てくる美しい言葉であると思います。
けれども,往々にして,そのような美しい言葉というものは他者との関係において,少しの誤解を生じさせ得るものであると考えます。すなわち,このような言葉を聞いて,「どこどこの予備校に行けば,誰々先生から学べば絶対に合格できる」というような勘違いが生じ得るということです。
たしかに受験において,予備校選びや講師選びはとても重要な事項であるということは争いのないことでしょう。その選択内容によっては,自分という人間が目標達成できる可能性の高さを左右しうる要素だからであります。
しかし,そこでも大切なのはあくまで“自分”という人間が目標達成できる可能性が高くなるのか,低くなるのかという点であります。
そうです,やるのは自分なのです。そして,そのことを1番理解している先生が,泉谷先生だと私は思います。
泉谷先生の指導においては,毎回の論文起案・解説レジュメはもちろんのこと,起案に添削をつけて返して下さいます。
まず,解説・添削がとても丁寧です。
私自身,予備校の答練や模試を何度も受験したことがありますが,正直なところ,予備校の添削は表面的な評価に終始したものばかりでした。
「ここは具体的にどういうことなのか,深い意味で〜のように起案したのだけれども,単純に誤りとしか捉えられていないetc.」というように深く踏み込んだ解説・添削をしてくれないように思います。
他方で泉谷先生の添削では,その踏み込んだ部分についてもしっかりと回答を頂けます。具体的には,起案の中で〜と書いているけれどもどうゆう趣旨で書いたの?というような種々のやりとりから指導自体が成り立っていきます。
泉谷先生の指導はゼミ形式で行われますが、このゼミを作り上げるのは先生だけじゃなくて,先生と私達受験生の共同作業なのです。ここが予備校等との決定的な違いです。
どうしても予備校等の答練や模試はその性質上,一方通行の学びしかできないため,消化不良が生じます。けれども泉谷ゼミは違います。主役は自分なのです。だからこそ,私は泉谷先生の指導で学んだことが血となり肉となっていると今,実感できています。
頑張るのは自分。けれども,自分が頑張ることを手助けして下さるのが泉谷先生です。
予備試験の論文式試験や口述式試験の合格発表の時,真っ先に先生から電話を下さいました。自分のことのように,私の試験を思い,気にして下さっていました。その人間的な温かみこそが,予備校や他にはない泉谷先生の指導の魅力です。いわば,チーム泉谷ゼミなのです。
末筆ながらチーム泉谷ゼミの一員として,私自身は司法試験合格という次なる目標に向けて,更なる研鑽を積んでいきます。
(本当にちなみにではありますが,泉谷先生は年間で2000通を超える答案の添削をしていたこともあります。私自身,そのような方に出会ったことがなかっただけに驚きました。嘘ではありません。)
この方は、非常に熱くポジティブな方でして、この文章を読ませていただいたとき、熱く語る彼が思い浮かび、とても微笑ましかったです。他の合格者の声でも触れてくれていましたが、添削を評価してもらえたのは嬉しかったですね。
また、大学を卒業した後も私の指導を必要としてくれたのは、私を信頼してくれたからだと、改めて感じました。
至らない点もたくさんある私ですが、これからも一人でも多くの方とこのような信頼を得られるように頑張っていこうと思わせてくれる声でした。
コメント