答練やゼミに出る意味。

司法試験・予備試験
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最近、答練の論文の添削や自分のゼミの答案の添削をしていて、答練やゼミに出ることにしっかりと目的意識持って出ている学生はどれだけいるのかという疑問を抱きました。

例えば、ある学生の答案を添削し、同じようなことを添削で書いていると、この学生は本当に自分の添削を見てくれているのかということをフッと思ってしまいます。また、答練である学生の答案を読んで、何かでその人の答案について、事務局に相談すると、前添削した先生にも同じ添削がされているということを聞かされると、その学生は何のために答練を受けているのかと失望にも似た疑問を抱きます。

答練やゼミに参加していれば自動的に論文が書けるようになって、気付いたら合格していた等ということは絶対に有り得ません。答案を添削してもらい、自分のどこに問題があるのかを把握して、その問題をどのようにして修正したらいいかを考え、修正しようと意識しながら次の問題を解かなければ決して成長しません。また、知識に問題がある人は、しっかりとインプット作業をしなければなりません。

このように、答練やゼミに出るということは、自分の問題点を他人(合格者)に発見してもらうことに一番の意味があるのです。従って、何回答案を添削されても同じようなコメントしかないという学生は、ハッキリ言えば、成長していないのです。ということは、折角時間を割いて答練やゼミに出たとしても、成長しないのですから意味がないのです。貴重な時間を割いたにもかかわらず、意味がない。こんな無駄なことはないと思いませんか?

大事なのは、答練やゼミで出した答案のコメントをどれだけ素直かつ謙虚に受け止められるか、だと思います。そうしなければ、無駄な時間を過ごすだけです。時間は有限ですから、時間は大事に使いましょう。

答練やゼミは、ツールの一つでしかありません。そのツールを生かすも殺すも、自分次第なのです。目的意識をもって利用すればとても有益なものになるでしょうし、漫然と受けていたら、それはただの時間の無駄です。もう一度、自分がしっかりと目的意識をもって、答練やゼミに参加しているかを考えてもらえればと思います。

この記事を書いた人
ナオ

平成25年度の予備試験に合格。平成26年度の司法試験に合格。平成28年に弁護士登録。

都内で弁護士として実務に携わりながら、某大学法学部で司法試験、予備試験志望の学生のゼミで指導員をするとともに、司法試験予備校の論文答案添削など、司法試験の受験指導に積極的に取り組むサッカー大好き弁護士です。

個別受験指導もしています。

Twitter(https://twitter.com/nao_izumiya)

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