受験生の皆さんからすると、2時間であの長文を読んで、A4の答案用紙に手書きで8枚を上限として答案を書くということは当たり前のことかもしれませんが、実際に法律を学んだことがない人や司法試験を目指したことがない人にとっては、当たり前のことではありません。
司法試験の答案を書くためには訓練が必要
かつて、司法試験の問題漏洩事件があった際に、司法試験の問題が朝の情報番組に紹介されたことがありました(択一・論文ともに)。その時に、私の母が「何が書いてあるのかすらわからない。書いてある文章の意味が分からない。」と言っていました。これが、司法試験受験生でない人の率直な感想なんだと思います。
この反応からもわかるように、2時間で長文問題を読んで8枚答案を完成させるという行為自体、何も勉強していない人にとっては、不可能な作業なのです。ましてや、上位1500人程度に入る位のクオリティの答案を書こうと思ったら、もっと大変なことなのです。
つまり、何が言いたいかというと、「司法試験の答案を書けるようになるには、そのための特別な訓練をしなければならない。」ということを言いたいのです。
もっと言えば、「一般的な人はちゃんと訓練しないと答案なんて書けるようにならない。」ということです。
何ができるようになれば司法試験の答案が書けるのか
では、必要な訓練、トレーニングとは何か。
まず、司法試験は、具体的事実から法的論点を抽出して、その法的論点について一定の見解を示し、その見解に基づいて当該事案を処理することが求められています。
そうすると、漫然と問題文を読むのではなく、具体的事実から導き出される法的論点を見つけようとしながら読まなければなりません。
論点を探すというと、途端に「論点主義だ。」等と言われますが、本来的には論点というのは、特定の法律を使ってある事案を処理しようとした場合に、自然と浮かび上がってくるものです。しかし、受験生には時間がありませんから、どうしても論点を探すという作業が必要になってきます。
なので、「敢えて」論点を探すという表現を使っているだけであって、論点だから書くということを推奨しているわけではありません。
次に、論点に気付けたとしても、その論点に対して一定の見解を示さなければなりませんが、これは事前に勉強したことのあるもの、例えば判例があるような場合には、既存の考え方に従って見解を示すことになります。
そうすると、一定の法的な知識がなければ、見解を示すことが出来ません。現場で考えていたら、それこそ時間が無くなってしまいます。なので、インプットによって基本的事項について理解・記憶をすることが必要なのです(記憶の点については後日別で書きます。)。
また、論点を正確に理解していることは、論点を探す作業においても有用です。知らない論点には気づきにくいですから。
そして、一定の見解に従って、当該事案を処理するにあたっては、結論の妥当性、結論に至る理由の説得力、論理が積み重ねられる文章力が求められます。
これは、ある程度文章を書かなければ上達しません。小説を書くわけではないので、特別な才能は必要ありませんが、わかりやすい文章を書くには、ある程度文章を書いて、修正を重ねる必要があります。
法的な知識とそれを表現するトレーニング
これらのことからわかるように、司法試験の答案が書けるようになるためには、基本的な法的知識を理解し・記憶するというインプットと、それを正確に表現する、わかりやすく表現するためにある程度答案を書く訓練を積まなければならないのです。
今年の論文の成績が悪かった人、単に書けないと嘆いているだけでは一生書けるようにはなりません。逆に、今全く司法試験の勉強をしていなくても、これらのトレーニングを積めば、必ず良い答案が書けるようになります。
今自分がやっていることが、当たり前になっているからこそ、司法試験の答案で何を書くべきかといった基本的なことを忘れている人もいるかもしれません。
皆さんがやっていることは誰でもできるようなことではありません。しかし、適切な訓練をすれば誰にでもできることです。つまり、論文の成績が悪い人は適切な訓練をしていないのです。
もう一度初心に帰って、司法試験の論文とは何が求められているのか、自分の答案には何が欠けているのかということを考えてみることも必要ではないでしょうか。
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