惜敗も負けは負け。

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Ben_Kerckx / Pixabay

日本、負けちゃいましたね。非常に残念です。

ただ、それ以上に残念なのは、多くのメディアや解説者の論調は「感動をありがとう」とか「よくやった」とか、そういった意見が多いということです。

なぜ、2点差から3点取られて負けたことの分析やこれからの日本がどうすべきなのかを語る人がいないのでしょうか。

もちろん、サッカー専門の評論家の方やセルジオ越後さん等は、そういった観点の発言をされていましたが、民放の情報番組等を見る限り、このような観点を持っていた人はいなかったように思えます。

もちろん、TV局の意向もあると思いますので、好き勝手なことは言えないのはわかっています。

では、TV局はなぜ「感動をありがとう」といった論調を好むのでしょうか。それは、多くの人がそう思っているからではないかと思います。

あの試合を見終わった後、少なくとも私はベスト16で満足、感動をありがとう等とは思えませんでした。

悔しくて、しばらく何も考えられませんでした。ベルギー相手に善戦したから良しとしたら、何の成長もなく、この経験が無駄になってしまいます。

今回「も」ベスト16ではじかれた訳です。この壁を突破するためにはどうしたらいいのかをしっかりと分析しないと、いつまで経っても突破できません。

それなのに、ベスト16で感動をありがとうとか、本当に日本サッカーのことを考えた発言なのかと疑念を抱かざるを得ません。

もちろん、労いの言葉は必要だと思います。

しかし、それとともにサッカーファン皆がもう少し厳しい目で、どうして負けたのか、どうしたらベスト8に行けるのかということを考えるべきだと思いますし、JFAに対して厳しい目を向けるべきだと思います。

以上のことは、司法試験でも予備試験でも一緒です。

何位だろうが合格と不合格は全く違います。まぐれでも合格は合格ですし、1点足りなくて落ちても不合格は不合格です。

よく、「今年は惜しかった。来年は受かるはずだ。」とか言っている受験生がいますが、怪しいですよね。自分がなぜ落ちたのかという敗因分析をしっかりしないと、来年また同じ過ちを犯す可能性が高いと思います。

受験生の皆さんは肝に銘じておいてください。惜しくても何でも、落ちたら不合格者です。

不合格者は、自分がなぜ今年落ちたのかをしっかりと敗因分析しなければ、来年もまた同じ過ちを繰り返します。

受験生である以上、求められるのは過程ではありません。結果だけです。

よく、「~君(さん)はよく頑張ったよね」とかいう人がいますが、励ましの言葉としては良いかもしれませんが、「頑張った」ということ自体は何の意味も持ちません。合格するという結果を出すことに意味があるのです。

W杯も司法試験・予備試験も結果が求められます。結果が出なかった場合には、次結果を出すためにどうしたらいいか、なぜ今回失敗したのかということをしっかりと突き詰めないと、次に良い結果は得られないのも一緒です。

惜敗は負けである、受験生はこれを胸に刻み込んで、試験に臨んでください。

この記事を書いた人
ナオ

平成25年度の予備試験に合格。平成26年度の司法試験に合格。平成28年に弁護士登録。

都内で弁護士として実務に携わりながら、某大学法学部で司法試験、予備試験志望の学生のゼミで指導員をするとともに、司法試験予備校の論文答案添削など、司法試験の受験指導に積極的に取り組むサッカー大好き弁護士です。

個別受験指導もしています。

Twitter(https://twitter.com/nao_izumiya)

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