答案は事案に即したもの
今まで何度か触れてきましたが、司法試験の答案は「具体的事案から法的な論点を抽出し、その法的論点について一定の考えを示し規範を定立した上で、その規範に従って、当該問題(事案)を処理する」ものです。
そのように考えると、その答案に表現されているものは、全て当該問題(事案)に即したものであることに気づきます。
具体的事案から法的論点を抽出するのですから、その事案を処理する上で避けて通れない法的な解釈を行う、換言すれば、その解釈如何で結論が左右されかねない法的論点について解釈論を展開するのです。
とすれば、その法律論も、当該事案「だからこそ」出てくるものであって、知っているからといって書くものではありません。
また、一定の規範を示したら、その規範に従って、当該事案を処理するわけですから、ここは問題に示された具体的な事案に即して検討することが当然求められます。
このように、答案で表現すべきことは、全て当該事案に関するものでなければならないはずです。
その事案でなければ書けないことを書く
しかし、実際には、これはこの問題でなくても同じことが書けるよねと突っ込みたくなる答案があることも事実です。なぜ、現行の司法試験や予備試験が事例問題(しかもかなりの長文)であるのかについて考えてみてください。
それは、その事案でなければ書けないことを書いてほしいからです。したがって、当然のことですが、事案が異なれば書くことも変わってきます。
ということは、判例の事案と異なる問題が出たときには、その判例と100%同じことを書いてもダメということです。
規範は同じでも当てはめが違ってくる、あるいは、当該判例の射程の問題として、規範自体が変わってくる(民訴では良くある出題ですよね)こともあると思います。恐らく全体の割合でみれば、前者、即ち、当てはめがズレてくる問題の方が多いかもしれません。
とにかく事案から離れない
事案から離れないことは、司法試験が、具体的な事例を通じて、一定の法的理解と事案処理能力を問うている以上、当たり前のことなのですが、出来ていない受験生は多いのではないでしょうか。
良く地に足の着いた議論をしましょうという言葉を聞きますが、それは、事案から離れずに、事案処理に向けて意味のあることを書き続けましょうという意味だと私は解釈しております。
自分が普段からこれが出来ているのかについて、一度考えてみると、論文の点数が変わってくるかもしれません。
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